
はじめに
正義に適った平和とは、社会的結束と平等を互いに約束し合い追い求めることです。それは暴力を防ぎ止めるために働き、永続する持続可能な平和を築きます。正義に適った平和の原則は、人間の命と尊厳、共通善、正しい意向、包括的な政治への参与、回復、正しい関わり、和解、持続可能性の保護を含みます。非暴力はどのような状況下にあっても、他者に危害を加えない個人的実行です。正義に適った平和と福音的非暴力は、すべて「愛」に根差しています。
祈りへの呼びかけ
三位の神、愛の源である父よ、私たちの心を開き、広げ、あなたの愛の新しい創造へと私たちを形作ってください。愛の言葉である御子よ、私たちにどう愛すればよいのか、今日の世界に必要な癒しの存在となるにはどうすればよいのかを教えてください。愛の息吹である聖霊よ、私たちが執着を捨て、勇気を持って、普遍的な交わりの預言的証しとなれるようお導きください。愛の女性である福者テレジアが、この変容の道のりを私たちと共に歩み、私たちが愛である方のみ旨を知り、行うことを求め続ける私たちに同伴してくださいますように。(第25回総会のための祈り)
体験
すべての被造物は、私たちの三位一体の愛である神の似姿における調和と交わりにおいて形づくられています。私たちが正義に適った平和と福音的非暴力を省察し、祈る時、おそらく暴力的な状態に直面していたり、そのさなかにいたりする人もいるかもしれません。暴力的な言葉、有害な行動、虐待、破壊的な関係、戦争に用いられる破壊的武器、苦しみへの無関心、不愉快な沈黙はすべて、人間の精神と自然環境に暴力をふるう可能性があります。調和が、自然によって、あるいは人間の力によって妨げられる時、暴力的結果に至るのです。しかしながら人間の精神は、生来、平和と幸福を憧れ、求めているのです。
暴力は他者にとってと同様自分自身にとっても破壊的で、様々な形で現れうるものです。この省察を準備したことによって私は、暴力は「どこかに」あるものではなく、自分自身の内にあるものであるということを知らされました。この仕事にとりかかった時、自分自身に、この話題に対する資料を持っておらず、どこからはじめればよいかわからないと言い続けていました。集中しようとして何週間も過ごしましたが、どこへも行きつきませんでした。私の自己批判が障壁を築き、創造性に縛りをかけていました。私は自分自身に対して暴力を振るっていたのです。これは、私の中に形成された習慣であり、取り組む必要があります。ついに否定的な独り言に取り組み、手放すことができた時、私に向かって動いている「霊」の創造性を感じ、考えがまとまり、紙の上に流れはじめました。
うちのひとりのシスターは、25年近く、地元の小教区の秘書をしていました。自分の使徒職を愛し、優しい人柄で、相手の身になってその人と関わることのできる人でした。新しい司祭が、小教区の予算を減らすために小教区に任命されました。この司祭がした最初の事柄のひとつは、小教区の職員であったうちのシスターを解雇することでした。シスターは長年奉仕してきたので、最高の給料をもらっていたのです。もちろん、いかなる個人的利害があったわけではないのですが、突然の通告を受け入れるのは簡単ではありませんでした。シスターにとって、これまでの立場を退き、楽しんでいた日々の関わりを失ったことはつらいことでした。けれどもシスターは、早速小教区へのかかわりを新たにしたのです。シスターはまた、社会奉仕委員会でもボランティアとして働き始めました。何人かの小教区の人がシスターに「小教区で何年も献身的に奉仕して来られたシスターをあのように突然乱暴に解雇した司祭となぜ一緒に働き続けることができるのですか?」とたずねました。シスターの答えは否定的なものではありませんでした。シスターは自分の小教区への愛とエネルギーを、小教区の奉仕の新たな分野へと向けたのです。シスターの模範と態度から私はいつも霊的導きを受け取ってきました。シスターを知る多くの他の人々にとっても同様だと思います。シスターの家族、同僚、友人への非暴力的な、優しい、愛に満ちた関わり方は、非暴力へのキリスト教的なあかしです。私は、このシスターや、日々の生活の中で愛と共感をもってイエスの使命を続ける他の多くの人々と共に歩み、連帯できるようにと祈っています。
省察
3月30日に上映された、教皇ヨハネ23世の回勅「地上の平和」公布60年記念の短いビデオの中で、教皇フランシスコはこう述べています。「非暴力に生き、話し、行動することは、降伏することでも、何かを失ったりあきらめたりすることでもなく、むしろすべてを積極的に求めることなのです。」教皇は、私たち全てに、平和の文化を育み、日々の生活においても、国家間の関わりにおいてと同様、非暴力を私たちの行動指針とするよう呼びかけています。教皇はまた私たちに、非暴力の文化をより広く広げるため祈り働くようにと招いています。私たちは個人として、またグループとしても平和の道具となることができるのです。戦争ではなく平和を、紛争ではなく一致を、傷つけ合う言葉ではなく真摯な対話をもって生き、支え合うことができるのです。
イエス・キリストの模範に倣い、非暴力を証してきた現代の多くの預言者がいます。同様に、私たちも心を開いて聖書を読み、省察し、祈り、それを生きることで形作られ変容されるのです。私たちはまた、山上の垂訓(マタイ5:38-48)、姦通の現場で捕らえられた女性に与えられたあわれみと正義(ヨハネ8:1-11)、異教徒の母親に影響を与えられたイエスの開かれた心(マタイ15:21-28)、イエスの近くで、十字架上で亡くなろうとしている罪人へのイエスの応答(ルカ23:39-43)の中で、イエスの教えに動かされます。イエスが私たちへの愛のためにご自身のいのちを与えてくださったように、イエスは、条件や制限なしに「愛はすべてを与える」という確信を生き抜くよう私たちに呼びかけます。そしてイエスは私たちを、世の終わりまで私たちと共にいるという約束と共に、使命へと派遣します。
行動
今日、私たち自身にたずねてみましょう。
- 私の人生の今この時、何が私の心を養い、私の考えを満たし、私の約束を動機づけますか。
- イエスとその非暴力の生き方は、私の人生の中で違いをもたらしますか。
- 私は他の人と、福音的非暴力の喜びを、いつ、どのように分かち合いますか。
- 9月21日~10月2日は「カトリック非暴力行動の日」です。次のことを考えてみましょう。
- あなたの地域で不正義に苦しんでいる人(難民、被虐待者、見捨てられた高齢者、囚人)うちの誰か、あるいは一つの団体と連帯し、祈りと行動の約束をすること
- あなたをいつも混乱させたり、いらいらさせたり、怒らせたりしている人、あるいは一つの団体についてのより良い理解に向けて、祈り、働きましょう。
- できれば、あなたとは違う他の人と、違いについて心を開いて話し合う、祈りに満ちた対話に、誰かを招きましょう。
結びの祈り
主よ、死からいのちへ、いつわりから真実へ、私たちを導いてください。絶望から希望へ、恐れから信頼へ導いてください。私たちの心、世界、宇宙を平和で満たしてください。すべてにとっての平和と正義の世界を建設するために一緒に夢を見、祈り、働かせてください。私の心が、限界をつけずにゆるしますように。私の愛が、友人、敵、のけ者に対して、限界をつけませんように。私の行動が、福音的非暴力への証しをもたらしますように。アーメン!
国際シャロームネットワークのために、
ラテンアメリカ・カリブ海管区のシスターリータ・ハマックが作成しました。
グラフィックデザインは第24回総会指針、デザイン:修道会のコミュニケーション事務所.